K家の例

なかなか子どもに恵まれず不妊治療を始めて体外受精(2回目の顕微授精の胚盤胞移植)にて結婚13年目で初めての妊娠。
待望の赤ちゃんが誕生した。

<出産の記録>
・第1子(長男)
・出産日時: 2017年1月3日午前6時8分
・妊娠期間: 38週6日
・分娩所要時間: 約6時間、自然分娩(頭囲吸引2回)
・体重: 3,240kg、頭囲: 34.3cm、身長: 51㎝

<事故当日までの発達の記録>
・健診: 異常指摘なし
・首すわり: 生後3~4ヶ月
・寝返り: 生後5ヶ月
・お座り: 未
・はいはいの前段階のような動き(カエルのようなピョコンという感じの動き): 生後6~7ヵ月
・つかまり立ち開始: 2017年8月21日(生後7ヶ月)

<事故当日>
・2017年8月23日15:50頃
家にいたのは母親(K)と生後7ヶ月の赤ちゃん(T)の2人。
母親(K)がキッチンのシンクの前に立った時、赤ちゃん(T)がソファーにつかまり立ちをしていて後ろに尻餅をつかずに転んでしまうのを見た。
転倒後、すぐに赤ちゃん(T)が泣いたので母親(K)が抱き上げてあやしていたら、もっと大きな声で泣きだし、急にぐったりして全身が脱力し、目の焦点があっていないような感じになり赤ちゃん(T)が意識を失う。
母親(K)が、かかりつけの小児科に電話したが時間外だったので119番。救急車を呼んだ。
・16:00頃
救急隊員到着。救急隊員は母親(K)にけいれんで倒れたのではないかと聞いたが、母親(K)は、つかまり立ちから転んだと返答。
父親(H)がバイク通勤している職場を早退し帰宅。自宅玄関前で赤ちゃん(T)、母親(K)、救急隊員とすれ違う。
・16:20頃
K総合医療センターに到着。けいれん止め処置。急性硬膜下血腫で緊急手術が必要だが対応出来ないため転院先を探す。
・17:15頃
O総合医療センターに到着。赤ちゃん(T)の身長75㎝/体重9kgsであった。手術前に児童相談所へ通告義務があると医師から説明を受けた。
・22:50頃
ICUで開頭手術後の赤ちゃん(T)と両親(K)(H)が面会。

<事故日以降、一時保護まで>
・2017年8月29日
赤ちゃん(T)が入院中の病院で児相相談所のケースワーカー(CW)2名と保健師1(PHN)名から両親(K)(H)への聞き取り。
「事故か虐待かは児童相談所が判断しない。鑑定を依頼し、その結果でどうするかを決める。警察に通報するが警察とは別物」と聞く。
・8月31日
児童相談所のCW2名とPHN1名の家庭訪問。両親(K)(H)が対応。事故の説明をするも”揺さぶっていないか”と言われる。
・9月13日
児童相談所にて両親(K)(H)への聞き取り。CW2名から生い立ちを聞かれる。
・10月9日午前7時45分頃~午後6時頃まで
O警察捜査1課とM警察署による家宅捜索とM警察署で両親(K)(H)への任意の事情聴取。ありのままを話した。警察は大人数であったが対応はポリグラフの担当を除き紳士的であった。
・10月27日
警察が父親(H)の勤務先のタイムカードレコーダーの時間が合っているかを確認。
・11月2日
赤ちゃん(T)の主治医と病院ソーシャルワーカーと両親(K)(H)が面談。赤ちゃん(T)が退院出来る状態であるが児童相談所の判断が出ていない為、退院させられないことを聞く。

2017年11月8日
午前9時に呼び出されていた両親(K)(H)が児童相談所で面談。
赤ちゃん(T)が退院したこと、一時保護したこと、施設入所に同意しなければ面会禁止で居場所も教えられないと聞く。
一時保護の理由は鑑定結果が「事故の可能性が高く虐待の可能性が低い」(※)であったから虐待の可能性がゼロではなく子供の命を安心・安全を一番に考えてとのことであった。
事故か虐待か(受傷機転)は捜査機関の判断を待つと口頭説明があった。
一時保護決定通知書の理由欄には「緊急保護」とだけ記載されていた。
両親(K)(H)は毎日病院へ行っていたが児童相談所に呼び出されている間に、赤ちゃん(T)と引き離されている間に、だましうちの様なかたちで赤ちゃん(T)が連れ去られてしまった。
(※)後日、部分開示された児童相談所の資料によると「事故によるものである可能性が考えられる」とある。

<一時保護以降>
・2017年11月13日
赤ちゃん(T)の居場所と面会と引き換えに両親(K)(H)が施設入所に承諾。面会制限があり面会は週に1回1時間であった。
・12月15日
児童相談所CWと両親(K)(H)が面談。両親(K)(H)は毎日の面会を申し入れるが虐待親の様に扱われて面会制限は変わらなかった。(以降の毎日の面会要望も聞き入れられなかった)
・2018年1月26日
児童相談所CWと面談。CW2名が交代。父親(H)だけ子供(T)(※)との面会が週に2回(1回は母親(K)と一緒に1時間、もう1回は単独で2時間)となる。
(※)赤ちゃん→子供に表記を変えました。
・3月17日
父親(H)と子供(T)の面会が、単独面会の週1回が午前2時間午後2時間に増える。母親(K)と一緒のもう1回は1時間だけと変わらず。
・4月18日
母親(K)の子供(T)との面会が週に1回1時間から1回2時間に増える。父親(H)は単独時の午前2時間午後2時間と母親(H)と一緒に2時間の週2回。
・5月7日
子供(T)の祖父母の面会開始。祖父と祖母が週2回で午前と午後の2時間ずつ。この週から父親(H)が単独で週2回で午前と午後の2時間ずつ、母親(K)は週1回午前か午後の2時間となる。子供(T)からみて家族の誰かが週5で面会となる。
・5月24日
M警察署でO警察捜査1課の任意の事情聴取を受ける。祖父母と母親(K)と父親(H)に対して。
母親(K)にだけ対応が違った。母親(K)にだけ虐待疑いの姿勢があからさまであった。
・6月13日
母親(K)の息子との面会が週2回(午前か午後の2時間)に増える。子供(T)からみて週6で家族の誰かが面会となる。
・7月5日
児童相談所CWと両親(K)(H)が面談。PHN指導を受けた後、母親(K)の実家訪問を経て子供(T)の外泊(一時帰宅)が出来るように検討すると聞く。
青木信彦先生(脳神経外科医)の意見書(虐待を完全に否定する内容)を児童相談所と警察に提出したからではと推察。
・7月11日
検察庁で母親(K)が聞き取りを受ける。
・7月25日
児童相談所で両親(K)(H)が児童相談所PHNの指導を受ける。
・8月1日
両親(K)(H)が週6で子供(T)と面会可となる。外泊(一時帰宅)は検察の結果が出てから再検討とされてしまう。
・9月10日~12日
子供(T)の検査入院。児童相談所が母親(K)の夜間付き添いを禁止。
・9月27日
家宅捜索と母親(K)の逮捕。
・9月29日
勾留決定に対する準抗告で勾留請求却下となり29日から30日へ日付が変わる頃に母親(K)が釈放。
・12月28日
不起訴処分(嫌疑不十分)
・2019年1月11日
子供(T)の外出練習から開始し、外出・外泊を経て家庭引き取りへ向けて進めると聞く。
・2019年3月27日
家庭引き取り&施設入所措置解除。
・2019年9月末
児童相談所の関わりが終了。
・2019年10月~
要対協(要保護児童対策地域協議会)が児童相談所から支援(監視では?)を引き継いでいる。

<まとめ>
・子供(T)が、つかまり立ちからの転倒事故から77日後に一時保護、400日後に母親(K)が逮捕、492日後に不起訴。
・親子分離期間は1年4ヶ月(505日)。
・児相相談所の結論は「事故か虐待かは(受傷機転は)判らない」であった。
・子供(T)には後遺症があり、両親(K)(H)は一緒に暮せないとしても子供(T)の持っている能力を最大限に引き出せる様に子供(T)のおかれている環境を良くしたい一心で、より良いと思われるリハビリとてんかん治療の要望を続けたが叶わず、親子分離中は最低限のことしかしてもらえなかった。
・捜査機関と児童相談所は別物のはずなのに、どうして1年4ヶ月(505日)も親子分離させられなければならなかったのだろうか。
・なぜ両親(K)(H)が施設入所に同意しなければ子供(T)と面会禁止なのだろうか。
・なぜ母親(K)は逮捕されたのだろうか。
・児童相談所から両親(K)(H)への一時保護の説明は「事故か虐待か判らず虐待の可能性がゼロではない」であったが乳児院の情報によると入所理由は「養育困難(虐待)」であった。